ちょっといい話
- 公開日
- 2023/02/20
- 更新日
- 2023/02/20
お知らせ
ごめんね
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。何だか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。小学校4年になった夏休み、継母の提案で二人で川に遊びに行った。気が進まなかったけど、断る理由もなくしぶしぶついていった。川に着くと私は、継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。すごく苦しかった。でもそのうちだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。「一時心臓が止まって危なかったんだよ」と父が言った。ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は」と訊いた。父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。「私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、そのまま力尽きて下流まで流された。その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ」と……。私は次の日に継母のいる病室に行った。継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。
葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。私は父と一緒に何とかか鍵を探し当てて、日記を読んだ。そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけてでも守れる自信がある。○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」
継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに、私はあの人に何一つしなかった。愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。日記を読んではじめて、私は「お母さん」と大声で叫びながら錯乱状態になり、声が出なくなるまで「ごめんね、ごめんね」と言って泣いた。ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。
年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。