ちょっといい話
- 公開日
- 2023/01/26
- 更新日
- 2023/01/26
お知らせ
あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ
高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と居間に呼び出されたんだ。親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると……。当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。そして、俺は、お世辞にも優秀とはいえなかった。クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。 その夏から、親父は、抗がん剤治療を開始し、入退院を繰り返していった。母親の話では、主治医の見立てでは、「もって1〜2年だろう」ということだった。ただ、親父は弱音を吐くことはなかった。親父は「高校、大学はなんとかしてやるから、しっかり勉強しろよ」って言ってたよ。仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。俺といえば、ただボーっと机に向かって、勉強するフリだけはしていた。せめて、親父を安心させるためだったと思う。ただ、親父の「高校、大学はなんとかしてやる」の言葉が、重かった。
「おまえ、将来、何かやりたいことはないのか」と、高校2年の冬、痩せこけた親父に問いかけられた。俺は、期末テストで学年ビリから2番をとり、担任からも進路について厳しい話をされていた。言葉もない俺に、怒ったような泣いたような顔で親父は言った。「ないなら医者になれ。勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ」と……。上手く説明できない熱い感情に、頭をガツンと打たれた。自分への情けなさとか、怒りとか、色々混じったものが込み上げた。その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。それから、猛烈に、がむしゃらに勉強した。
高校3年の夏、親父は逝った。親父は、闘病生活の2年間で借金を整理し、俺の高校の学費をなんとか工面したそうだ。親父のおかげで、高校卒業できた。そして、1年間の浪人生活を経て、地方の国立大学の医学部に合格した。俺は今、癌専門治療医として働いている。親父は、「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ」と母に言ってたそうだ。まだ、親父の癌を治す力はないが、日夜頑張っているよ。いつか、親父の癌を治せるように……。