ちょっといい話
- 公開日
- 2022/01/14
- 更新日
- 2022/01/14
お知らせ
また『お母さん』って呼んでね
私には、お母さんが2人いた。1人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。もう1人は……。
17歳の誕生日に母が継母であったことを聞かされた。私を生んでくれたお母さんは、産後すぐに亡くなったそうだ。「生みの親より育ての親」何て言うが、その時の私は今まで騙されてきたという怒りと、馴れ親しんだ母が急に他人に思え、両親の話も聞かず部屋でふてくされて泣いていた。翌日から母を「おばさん」と呼ぶようになった。そう呼ぶと母はたまらなく悲しそうな顔をした。その後、何かと私に気を使い出し、必死になる母をよけいに煩わしく感じ、口もきかなくなってしまった。何となく家に居ずらくなったので、夜は出かけるようになった。それから1ヶ月がたとうとする頃、シカトし続ける私に母が「部屋で読んでね」と手紙を差し出してきた。が、私はその場でぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に捨ててしまった。それを見ていた父が私をはり倒し、震える声で「母さんはなあ…」と言ったが、私はろくすっぽ聞かずに泣きながら自分の部屋に逃げた。
翌日、母は帰らぬ人となった。居眠り運転をしていたトラックが赤信号を無視し、母の車に突っ込んだそうだ。即死だった。あまりに急な出来事のため、泣くこともできず、通夜が終わった後も母のそばでぼう然としていた私に、父がボロボロの紙きれを渡し、ひと言「読め」と言った。昨日の手紙であった。そこには母らしい温かい字でこう書いてあった。
千夏ちゃんへ 17年間騙していてごめんなさい。お父さんはもっと早くに言おうとしてたんですが、あなたに嫌われるんじゃないかと思い、あんなに遅くなってしまいました。あなたの気持ち、とてもよくわかる。だってお母さん、偽者だったんだもんね。でもね、お母さん、あなたのことを本当のお母さんに負けないぐらい愛してるんだよ。千夏が成人しても、旦那さんができてもずーっと……
泣きながら書いたのか、字のところどころがにじんでいる。そして最後に震える字でこうあった。
だから、また「お母さん」って呼んでね。
私が感じた寂しさを、母は17年も耐えていたのだ。人の気持ちを考えられなかった私は、1ヶ月もの間、母を苦しめたのだ。「お母さん」。1ヶ月ぶりに発したその言葉は、冷たくなった母の耳には届かない。
