只管打走?
- 公開日
- 2021/01/06
- 更新日
- 2021/01/06
桜下村塾
禅宗の修行の教えに、「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。「余念を交えず、ひたすらに座禅をする。」という意味です。この先に、無の境地、悟りがあると言われています。雑念を取り払い、呼吸を整え、自然の中に溶け込む。風の音を聴き、木漏れ日や鳥のさえずりを感じ、自らの意識を無の境地へと近づけていく。
おいそれとはできない、高僧の方のみが踏み込む境地とは思いますが、日常の生活の中にも、これに近い状況をつくりだすことはできます。どなたにも、一定の時間を割いて、日々継続する中で、集中し、無心になる瞬間はあるはずです。コロナ禍の中、他者との濃厚接触を避けつつ、ただただ「走り続ける」ことで、そんな瞬間を感じることがあります。ふと、不安にさいなまれ、迷いに飲み込まれそうな時は、引きこもるのではなく、外に出て、歩いてみてください。歩き続けてみてください。
何事につけ、勝利の9割9分は「前」方にあるといいます。一歩を前に踏み出すことで、視界がかわり、世界が変わり、思考に変化が生まれます。時に疲れて、立ち止まることはあっても、いつかは勇気を持って「前」へ。迷ったときこそ、ゆっくり「前」へ一歩、踏み出してみてください。
大丈夫。走っているうちに、いやなことは忘れ、失敗も大したことではないと思えてきます。まずは「前」へ一歩。